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人類史上初めてBoarding Schoolに入学した人物・・・それはJacob

2011年12月08日 13:27:00
石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible


今週のParashasはParashas Vayetze。 (Bereishis/Genesis第28章)

IsaacとRebeccaの子Jacob(その後改姓してIsraelと言う。)は人類史上最初にBoarding Schoolに入った男である。Parasahs VayetzeのBereshis第28章第10節によると、Jacobは非常に若い時に両親の元を離れたと書かれている。

Jacobが何歳ぐらいの時に親元を離れたかはHebrew Bibleでは書かれていない。しかしJacobは親元を離れて14年間ShemとEberという学園でTorahの勉強をしている。

そしてそのままHaranの地に行き、Labanという全く他人の家に入り20年間の修業をするのであるから、TotalでJacobは34年間親元を離れて勉強したのである。

ShemというのはNoahの大洪水の時の人間であるし、EberというのはBabelの塔の時の人間である。

かくしてJacobは早くから両親の元を離れTorahの勉強を全く他人の家で合計63年間も、いわばBoarding School全寮制の学校に入ってTorahの勉強を重ねたのである。

そして、Haranの地に向かう時に、例の有名な梯子が天井から下りて来て天使がそこを上り下りしている夢を見るのである。

かくしてJacobは神の祝福を受けるのである。それはそれ以前のTorahの勉強の賜物である。しかも両親の元を離れ数十年間勉強した賜物である。

従って親元を早く離れBoarding Schoolに入りTorahの勉学にいそしんだJacobという男に神は祝福を与えた。

このことは何を意味するか?

それは出来るだけ幼い時から親元を離れ、他人の家あるいは全寮制の学校などに入り勉学にいそしむことが神の祝福を受ける前提であるということを意味している。

よく日本の親達は大学を卒業しても子供を手元に置きたがる。かくして育てられた子供は甘え、ひ弱、すぐぶっ千切れる。そして中高年になると自殺という非常にひ弱い存在に育っていく。

私は教育Consultantとして小学生、中学生の海外のBoarding Schoolへの留学の相談を受けることが多いが、多くの場合、日本の親達は「少なくとも高校生ぐらいまでは親元に置いて教育をしたい」と言う。

そしてその結果が今の日本の大人達のような情けない日本人を生んでいるのである。

そういえば江戸時代あるいは明治の頃までは「幼い子には旅をさせろ」という言い伝え、格言や、あるいは「獅子は千尋の谷に我が子を突き落とす」という格言もあり、または「丁稚奉公」ということも行われていた。そういう経験を経て図太い大人に育っていったのが昔の日本人である。あるいはこのHebrew BibleのJacobである。

神の祝福を受けたければ幼くして親元を離れる。これが条件である。但し、2~3歳から親元を離れるまでの間は母親がしっかりとJewishの基本精神及び道徳律をTorahに従って教え込むことは当然であるとされている。

幼くしてBoarding Schoolに入ったJacobは何とReuben、Simeon、Levi、Judah、Dan、Naphtali、Gad、Asher、Issachar、Zebulun、Joseph、Benjaminという12人の男の子をもうける。そして娘を一人もうけるのである。その娘がDinahと言うが、ここでは12人の男の子のことについて話しておこう。

12人の男の子はLeahという妻との間に生まれたDinahという女の子の他に、Reuben、Simeon、Levi、Judah、Issachar、Zebulunという男の子がおり、Rachelという妻から生まれた子供が JosephとBenjaminである。その他に婚外子としてDan、Naphtali、Gad、Asherという4人の男の子をもうけている。

そして、Leviという男の子は神殿の神事を務める人間となり、またJosephは後にEgyptの執政官となりと、それぞれ大変出世したが、それ以外の12人の男の子はIsraelの12部族の長となったのである。

彼らはReuben、Simeon、Issachar、Zebulun、Judah、Dan、Naphtali、Gad、Asher、そしてBenjaminである。そして12氏族の残りの2氏族はJosephの二人の息子Manasseh及びEphraimである。

一説によれば、この12氏族のうち一つの氏族が今のIraqから東に逃れて行き日本にも渡ったと言われている。

私が改宗した動機は私自身が認識しているものを除き、私自身の認識下にあるのは恐らくこの12氏族のうちの1氏族の血が流れているからであろう。