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「4→3→2→1」と「1→2→3→4」

2012年02月14日 02:59:00
日本の子供は贅沢に囲まれて大きくなる。Jewishの家庭では、貧困や苦境に耐えられるよう教育する。

東京の都心の有名私立に通う子供は贅沢に囲まれた極みのような境遇にある。美味いもの、お菓子、好きなだけのBrandものの衣類、携帯、Game、高級車、冷暖房の効いた自分の部屋。親の富や日本の豊かさが永続するなら、今の日本の子供のように贅沢に囲まれて育っても良い。しかし、である。永続するか、である。

これに対しAmericaのEliteが通うBoarding Schoolは、子供を都会の贅沢と親の豊かさ・富から遠ざけるのが教育目的の一つだから、必ず山奥や田舎に位置している。子供に渡される小遣いも学校の決める上限以内で親が学校に預ける。24時間寮生活をするから、学校の中のみの生活であり、贅沢なことは出来ない。学校の売店で売っているものぐらいしか手に入らない。東京の有名私立に通う子供なら自分の部屋があるのが当たり前だが、AmericaのBoarding Schoolの寮生活では3人部屋が普通だ。しかも蚕棚のBed。机も椅子も小さくて固い。風呂などなくShowerのみ。

AmericaのBoarding SchoolのもととなったEnglandのPublic School(全寮制私立校)のEtonとかRugby、Harrow校では、昔は貴族の子供が入る学校なのに、食事はわざと貧しく、2品一皿で主食は芋しか出なかったうえに、冬でも暖房をわざと入れさせなかった。

さて、Jewishでも人生は良い時ばかりではなく苦境の方が多いという見地から教育し、また、その格言、小話が多い。

Jewishの教育は母親の家庭教育が中心だ。学校教育は補助的と考える。

さて、10ヶの飴玉を子供に与える時Jewishの母親はこうする。

「最初の日に4ヶ、次の日に3ヶ、また次の日に2ヶ、最後の日に1ヶ、をあげるか、逆に最初に日は1ヶ、次の日は2ヶ、また次の日に3ヶ、最後の日に4ヶか:どちらが良いの?」

こう子供に聞くと、子供だから必ず早く沢山欲しいので、最初の日つまり今日4ヶくれと言う。ところが子供は、次の日に3ヶしかくれないと不満になり、日を追うごとに不満が高まり、最後の日は1ヶしかくれないので不満が爆発する。

そこでJewishの母親は、今度は最初の日に1ヶ与えて、増やしていくあげ方をとる。と、どうだろう、子供は翌日には飴が1ヶ増えるという楽しみで期待に胸を膨らましていくようになる。

そしてJewishの母親は子供にいよいよ大切な教えを言うのである。「最初にいいことが沢山あるのと、あとにあるのとどちらが良いのか」と聞くのである。こうして、Jewishでは、人生は不幸なこと、辛いこと、耐えることから始まる方が良いことを教える。

東京の都心の有名私立に通う小学生のように最初から何でも十分にあると、それが自分の努力ではなく親の財力や東京という世界一豊かな町が与えたものなのに当たり前のように受け取ってしまい、その後の人生で少しでも欠乏することがあると不満が爆発する。耐久力がない子に育つ。

AmericaのBoarding SchoolやEnglandのPublic Schoolは、このJewishの母親にならっているのである。

日本でも昔は「可愛い子には旅をさせよ」とか「可愛い子には薄着させよ」とか「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」という格言があった。ただJewishの格言のように具体的ではないので、言っていることは同じでもどうすれば良いのかが伝わってこない。

Jewishでは、人間というものをHebrew Bibleがしっかりと、その本質をつかまえるように教えている。本質を摑まえるには、物事を違った角度から逆に見る訓練がいる。もともとHebrewという語源は、「別の角度から見る人」という意味である。Jewishでは、不幸も幸福も、不幸感と幸福感とは、別のものだと教える。同じ幸福も別の角度から見ると不幸感にとらわれるし、逆に同じ不幸も別の角度から見ると幸福感で満たされるものになる。

Jewishの小話を一つ。

ある村に「自分の家が狭いうえに子供が4人もいておまけに女房が太っているので自分は立って寝なければいけない。こんな狭い家に住む自分ほどこの世で不幸な人間はいない。」と不満をぶちまけている男がいた。これを聞いたHebrewの王がこう命令した。

「お前のその狭い家の中で鶏を10匹飼いなさい。」

この王の命令に嫌々従った男は

「女房と子供だけでも足の踏み場もないのに、鶏10匹じゃ、私は糞に埋まって寝よというのですか。前よりも不幸になった。」

これを聞いたHebrewの王が

「それじゃあ、鶏10匹に加えて、羊を10匹家の中で飼いなさい」と命じた。

男は王の命令だから従ったが、国中の人間に向かって自分は王の命令のお陰で国中で一番不幸な目に遭っていると言い回った。

しばらくして、やっと王は
「鶏10匹と羊10匹は家の外で飼っても良い。」と命令を変えられた。次の日、男は王の所に感謝の品々を持って来て、こう言った。

「私は大変幸せな男です。今や私の家には家内と子供4人。広々と暮らせるようになりました。」

世界経済は1970年からこの40年間限りない成長を遂げた。しかし、2012年の人々と1970年代の人々の幸福感はどちらが上だろうか。成長で得た「もの」を失って1970年代の人々の生活Levelに戻っただけなのかも知れないのに、不幸感で満ちているのではないか、不幸と不幸感は別物である、とJewishの格言は教えているのであろう。