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日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その8) 「極限の選択」

2012年06月06日 17:20:00
一人の命しか救えない時にどちらを救うべきか? 

AmericaのSuper Eliteが通うBoarding Schoolの倫理の授業で、Classの10人の生徒に次のようなDiscussion Themeが与えられた。5人ずつのGroupに分け、どちらを救うべきかを議論する授業だ。

Themeはこうだ。

「君がもし産科の医師だとして、臨月の母親が危篤状態に陥った。母親の命を救えばその処置のために胎内の子は死んでしまう。今胎内の子を帝王切開で助ければ子供の命は問題ないが、母親は確実に助からない。裁判所の判断を求める時間は全くない。さて、君は医師としてどうすべきか。」

子供派、母親派の5人ずつのGroupのDiscussionが始まった。

私はAmerica公認の教育Consultantとして各地のSuper Elite校のBoarding Schoolを見て歩いている。各校とも倫理系の科目が何科目か用意されており、ClassではこのようなThemeでDiscussionすることが多い。

AmericaのSuper Elite校の考える倫理とは、主にこういったもので、日本人の考える倫理とは、かなり違う。重い課題でかなり宗教的なものである。

Christianity国AmericaではProtestantが主流であり、その中に色々な分派があるが、このような場合、もともと胎児は受胎の瞬間から人間であり殺すことは堕胎も含めて絶対に許されない、と考える者が多い。だったら母親も胎児と同等の人だから殺して良い訳がない。Christianityでは、このような極限状態の時に判断が非常に混乱する。

あるChristianityの一派は、母親の意思が優先するという。母親が自分は死んでも良いので子供を助けてくれと表明すれば、それに従うべきだという。

ならば母親が意識不明の時はどうするのか? あるChristianityの一派の考えは夫である父親が決めて良いという。しかし、父親が「とても私には決められない」と判断を拒否したら産婦人科の医師の判断に委ねられるのか? 君が医者ならどうする? 長い寿命のある子供を助けるべきという生徒と、まだ次の子供を産める母親を助けるべきという生徒の意見が対立した。

Protestantではなく、Catholicでは、このような場合、洗礼を受けていない子供を助けるべきだという結論になるであろうと思う。洗礼は神からの救済であり、洗礼を済ませている母親は既に神により救われているので、このような場合は子供の命を助けるということになる。かくして二人とも神により救われるのである。人の命としては母親は死ぬが、宗教的には二人が洗礼により救われたと考える。

さて、Judaismではどうか。Judaismでは、答えは非常にSimpleであり、誰も迷わない。助けるのは母親と決まっている。胎児は出産するまでは母体の一部と考える。従って母親の手や足と同様、母親を救うためには胎内の子を切除する以外にない。JudaismにはTalmudという聖典があり、およそ人が判断に迷うような問題にすべて答えが用意されている。

さて、我が日本の仏教や神道ではどうか? あるいは、日本では医師会が倫理基準として決めることなのか? 

我々日本人は、普段あまり宗教に接しないが、AmericaのSuper Elite校やJewishでは、こんな形で中学生高校生に倫理を教え宗教を身近なものにしていくのである。日本では、こんな授業はやっているのだろうか?