お客様からの声

お客様からの声

2013年05月23日 16:51:00
(1) 生徒から質問

石角先生



先ほどは、ありがとうございました。

久しぶりに生演奏を聴くことができ

大変楽しい時間を過ごすことが

できました。



また、××の質問ですが



1. 確かな目標が決まらない中で

一生懸命勉強する意味

2. ××と比べ

社交性がないことについて





親としてもアドバイスしておりますが

先生の意見も伺いたいと

言っておりますので

お忙しい中、大変申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い致します。



××××





(2)生徒への解答

1.質問1に対する答え
将来何になりたいかということは、大学を卒業するシニア、日本語で言うと大学4回生、ぐらいで一般的には決めることになります。
従って、今の段階で目標を持つことは出来ないと思います。
今の段階で目標を持つことはまたある意味間違っています。なぜか?以下のユダヤの小話を紹介します。

ユダヤ人は死ぬ瞬間まで一生ヘブライ聖書の勉強を毎日続けます。
なぜ、なんのためにどうゆう目標を持ってヘブライ聖書の勉強をするのかということを問うことは間違っているし、そんなことに疑問を持つことはあってはならないとされています。
それはヘブライ聖書の勉強をすることそのものがユダヤ教であるからです。
そしてそうすること、つまり目標もなく毎日同じ勉強を繰り返すことが、実は神が一番祝福することである、そして振り返ってみればそれが一番幸せなことであるということが死の瞬間に分かるであろうと言われているからです。
ユダヤの小話に次のようなものがあります。
自分の目標はなにかもっと他にいいことがあるに違いない、単調な毎日の繰り返しに目標を見失った男がパラダイスを求めて旅に出ます。
毎晩寝る前に自分の靴をテントの外に置いておく。
朝起きてその靴がねずみなどの小動物によって動かされていたその靴の方向に次の日は歩いていけば、必ず自分の目標が見つかる、パラダイスがみつかると人に聞かされていたからです。
そして2年3年とパラダイスを求める旅を続けました。
ある時やっとパラダイスが見つかったとその男は思いました。
自分がパラダイスを求める旅に出る前に過ごしていたなつかしい妻や子供の声が聞こえるような、それはそれは素晴らしい桃源郷、パラダイスだと思って、その村に入って行きました。
その男は実は昔自分が残してきた妻と子供の家に戻ってきているということに気付かなかったのです。


2.質問2に対する答え
×××はたしかにアメリカ社会に溶け込んでいますが、×××が日本人の例外であり、×××が日本人の普通の姿です。
従って×××と比べるということは非常に特殊な人間と自分を比べることであり、比較自体が無意味であると思います。
比較は常に平均的なもの、つまり最大公約数に属する最大公約的な比較像と自分と比較する必要があるからです。
そうすれば平均的なものと自分との比較できるからです。
×××は平均的なものではないので比較することは意味がないし間違っていると思います。



(3)生徒からの返信

石角先生 御机下

早速のお返事ありがとうございました。

お忙しい中、ユダヤの小話しを引用し、大変わかりやすく
勉強する意味を教えていただき、私達も大変参考になり
ました。

サマースクールの件は、×××とよく相談し、金曜日の朝までには、どうするかについてご連絡するように致します。

いつも大変親身になって×××の事を考えていただき感謝いたしております。

今後とも何卒よろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

×××



(4)生徒への解答

わかっていただけたら幸いです。

勉強というのは何かの目的のためにやるという考え方は西洋的ではありません。ユダヤ的でもありません。

日本では受験勉強とか医者になるための勉強とか勉強が手段であり目的は別にあると考えられがちですが、西洋ではとくにユダヤ・キリスト教文明では勉強自体が人生の目的である、と考えられています。



だからこそ、リベラルアーツカレッジで日本人から見れば全く意味のないと思われる哲学、経済学、心理学、社会学歴史学、文学などを4年間徹底的に勉強するのです。

医者になる、弁護士になる、経営者になるというMBA、ロースクール、メディカルスクールはあくまでもオキュペーショナルスクールつまり職業訓練校としての位置づけにしかすぎません。

つまり金を稼ぐための、収入を得る技術を身につけるのがメディカルスクール、ロースクール、MBAです。

それは勉強ではありません。

勉強とは人間が生まれてから死ぬ瞬間まで一生続けなければいけないもの。

それこそが人生の目的であるのです。



ゴーギャンの絵にありますように、自分がどこから来て、どこへ行くのか、それを探求するためのもの、それが勉強なのです。



そうゆうと私は医者になって人の命を救うためだ、そのために医者になるという反論が聞こえてきそうですが、人の命を救うためには何も医者にならなくても救えます。

消防士でも、あるいは科学者でも、弁護士でも、心理カウンセラーでも人の命を救うことにかかわっているのです。



×××がやっているような勉強を×××が一生続けてこそ、自分が何のためにこの世に生を授かったのか、それがわかってくるわけです。

その為に勉強をしているのです。

従って今の勉強そのものが×××にとって一番大切なこと、つまり×××のこの世に生まれてきた目的であり、存在そのものであるのです。