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生徒の両親から

2012年07月24日
石角先生御机下

いつも大変お世話になっております。

子供達はおかげさまで元気に
楽しく過ごしている様子で
私達も大変嬉しく思っております。

現地に着いて数日は
娘の方はホームシックになり、帰りたくなったとSkypeで
ポロポロと涙を流していましたが、
一週間もすると
生き生きとした表情に戻り
ダンスなどアクティビティを
楽しんでいると報告がありました。

英語についても、息子はESLを抜けたと連絡がありました。
娘もESLの中でもレベルAだそうで
haveとhasの違いを何度も説明される
などわかっている事をやることも大切だけど、クラスを変わっていいか
先生に聞いてみると言い出しました。すぐに許可が出た様で、今日からperforming
arts
のクラスに移るそうです。
そこはドラマの制作などをするクラスでお友達もアメリカンばかりで楽しみだと言っ
ておりました。

この×××スクールでは
英語だけでなく、心の成長も
感じます。××での葛藤も活かされ
ぐんぐん成長してくれる我が子達に
本当にこのような道に進んで良かったと嬉しく思うばかりです。
先生の御指導のおかげでございます。
ありがとうございました。

また×先生が×××の国際音楽コンクールで一位をおとりになられたそうで
本当に素晴らしいですね。
我が家でも一家で喜んでおります。
×先生の事を尊敬致しますし、
その様な先生に数ヶ月でも
教えていただけたこと有難く
光栄に存じます。

では暑さ厳しき折
どうぞお身体ご自愛下さいませ。

私がMilitary Schoolを勧める理由

2012年07月13日
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とにかく学問の世界、Businessの世界でGlobal Competitionに個人として突入した場合には個人の力量しか頼りにならない。組織の力でどうということにならないのである。

いくらSonyとかSumitomo Bankのbadgeを背負っていても、個人としての闘いの場面はGlobal Competitionになればいくらでも存在する。

どうしてJewish、Israel系のJewishがこのGlobal Competitionでかくも強いのか。特に1対1の闘争になると圧倒的な強さを発揮するのは実はこの写真に秘密がある。

これはIsraelの若き女性兵士達である。AmericaのMilitary Schoolの隊列行進の写真ではない。本物の兵士なのである。国民全皆兵、徴兵制度を取っているIsraelでは、このように日本では高校生と見間違えるような若い女性が兵役に服する。



私は多くの日本人留学生のお世話をしているが、Military Schoolに子供を入れることをためらう日本人両親が多い。理由は規律が厳しいということに尽きる。

しかし、これからGlobal LevelのCompetitionに入る時に、SingaporeやIsrael、韓国といった全国民皆兵、徴兵制度を経験してきた連中がさらに腕に磨きをかけて、AmericaのHarvard Business SchoolやHarvard Law School、Oxford大学、Cambridge大学を目指して入って来るのであるから、規律の厳しさで100%の訓練を受けた上にLiberal ArtsのCritical Thinkingの訓練もAmericaのこういった大学で受けて来るのであるから、日本の柔な受験教育をくぐって来た者ではとても太刀打ちできないのである。

日本が韓国のSamsungに負けている理由の一つはこういうところにもある。そして、IntelのCPUのDesignを日本の技術者がやらせてもらえないのもこういうところにある。

IntelのCPUのDesignは全てJewishがやっている。IsraelのJewishである。

Apple、Google、Microsoftが日本に研究開発Centerを全く持っていない、そして全てこれらのAmerica系IT企業はIsraelに研究開発Centerを置いている理由の一つはこういうところにある。

Americaに徴兵制度がないのに何故日本より強いのかだって? AmericaにはMilitary Schoolがあるんだよ。何と言ってもWest PointやAnnapolisを出た者が全員兵役に就き将校になるとは限らないのだ。実業界に入って行く者も沢山いる。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか (その9)

2012年07月04日
最近私はある所でアメリカのボーディング・スクール教育についての講演をした。その中で出された質問が興味深い質問であったので、ここでご紹介したい。

質問:石角先生はアメリカのボーディング・スクールで知識教育、いわゆる知識の暗記教育はあまりしていないと書いておられるが、しっかりした知識があってこそのCritical Thinking、すなわち批判的思考能力が身 に付くのではないのか?

石角完爾の答え

確かにアメリカのボーディング・スクールでは知識教育に重点を置いていないし、期末試験でも知識を試すような試験問題が出されることはない。常に創造的思考、批判的Critical Thinkingの問題が出る。例えばアメリカの中学校で日本史を教えているが、日本史の授業で出された具体的な問題は、試験室に入ると日本史の先生が待っている。いきなり三島由紀夫と河上肇の書いた小論文を渡される。それを生徒が5分間読むことを要求される。5分経つと「はい、止め」と言われて、そこから日本の右翼思想と社会主義思想についての先生からの矢継ぎ早の質問が発せられる。約15分間の口述試験である。これがアメリカの中学のボーディング・スクールの日本史の授業でアメリカ人に対し行なわれた実例である。さて、この試験では全く知識を試していないことは明らかである。別に三島由紀夫がどういう人物で河上肇がどういう人物かということを予め知っている必要もない。その場で渡されたものを読み、それについて先生との口述試問を受けるからである。

アメリカのボーディング・スクールではインターネット時代に突入したことのパラダイム・シフトを正確にとらえている。パラダイム・シフトとは、「ほぼ全てと言って良いほどの膨大な世界の情報が今は瞬時のネット検索が可能になった。」ということである。これはほんの数年前までは予想だにしなかったことである。アメリカの膨大な国立議会図書館、日本の国会図書館、その他の政府関係資料や学術論文等々々は一瞬の間にネット検索が可能になっている。

このパラダイム・シフトの状況を正確に捉えないと日本の教育は完全にObsoleteなものになってしまう恐れがある。例えば、大化の改新が何年で聖徳太子の17条の憲法が何年に作られたということを忘れてしまっても一瞬の間にネット検索で出て来る。つまり、知識は今やネットという頭脳にアクセスしてGet出来る時代になった。このような時代変革が起こってしまった後に於いては知識教育の意味というのは極めてMinimizeされて来ている。暗記教育は恐らく世界の博物館でしか見られない過去の遺物となっていると考えて良い。

さすれば、日本の中等教育に於いて必要なのは生徒に創造的思考及び批判的思索、すなわちCreative Thinking、Critical Thinkingを植え付ける教育である。

さて、Critical Thinking、Creative Thinkingの教育は具体的にどうやるか? まず第一に、授業は出来るだけ少人数にし、ソクラテック・メソッド、ハークネス・メソッド、ヘブルタ方式でやるべきである。そうでなければCritical Thinking、Creative Thinkingは育たない。ソクラテック・メソッドはHarvard Law Schoolで開発された教授と生徒との質疑応答方式というものである。ケース・メソッドとはHarvard Business Schoolで開発されたCase Bookを予め生徒に読ませ授業は質疑応答で行なうというやり方である。ハークネス・メソッドとは、アメリカのボーディング・スクールで採用している円陣に生徒と先生がなり、生徒同士、先生と生徒の質疑応答、討論方式である。ヘブルタ方式とはユダヤが世界史上初めて4000年前に義務教育を導入した時から採用されているユダヤの教育方式で、生徒が1対1の2人ずつのグループになり、その生徒同士が1対1で与えられた課題につき1日中討論をする。その間先生たるラバイは僅かにアドバイスをするだけである。

ではなぜ討論方式でないとCreative Thinking、Critical Thinkingの教育が出来ないのか? 討論こそCreativityの母であるからである。議論こそCritical Thinkingの苗代であるからである。例えば、Creative Thinking、Critical Thinkingの教育現場を日本史の授業を再現しながらやってみよう。

先生:「聖徳太子の17条の憲法は知っているか?」

生徒:「はい、知っています。」

先生:「そこにはどんなことが書かれているか知っているか? 知っている者は2、3言ってくれないか。」

生徒:「先生、その前に質問があります。17条の憲法は本当に聖徳太子が書いたのですか?」

先生:「おお、なかなか良い質問だ。誰か他に17条の憲法は聖徳太子が書いたということについてサポート出来る情報を知っている人間はいるか?」

生徒:「そもそも17条の憲法というものは聖徳太子が書いた直筆のものが現存するのですか?」

先生:「それもいい質問だ。さあ、現存するかどうか皆で調査してみよう。早速パソコンを開いてネットで検索してみよう。」

生徒:「ネットで検索した限り、17条の憲法が現存するかどうかについては定かではありませんが、あるネットでは17条の憲法は直筆のものは現存しない、と書かれています。」

先生:「なるほど、そうすると17条の憲法は聖徳太子が書いたかどうかについてまず我々は検証するべきだと思うが、どう思う?」

生徒:「その通りです。仮に現存していてもそれが聖徳太子の直筆かどうかが分からないと思います。何故なら筆跡鑑定などが出来ないからです。そのうえ、現存していないとなると17条の憲法を聖徳太子が書いたかどうかというのは過去の史料に基づいて判定する以外にない訳ですが、そうなるとこの点が大議論になるべきだと思います。」

先生:「その通りだ。一つだけ先生からコメントしておく必要がある。それは、歴史というのは多くの場合後世の歴史家によって書かれているということだ。それが史実かどうかは君達が自分の手で史料を集めて自分で考えなければいけない問題だ。よし、それでは今日は17条の憲法は本当に聖徳太子が書いたのかどうかを、君達が図書館に行って徹底的に調査をし、それを持ち寄って次回議論することにしよう。今日はここまで。」

以上がCritical Thinkingを育成する授業方式の一つのサンプルとして石角完爾が創作したものである。

皆さん、考えてみてもらいたい。コペルニクスの地動説は、当時天動説が知識の常識だと言われていた時代にその知識の常識に根本的に挑戦したものである。しかも命がけで挑戦した。ダーウィンの進化論は生物が進化するという理論であるが、生物学上の大理論だと言われている。しかし、そのダーウィンの進化論も当時の常識、すなわち、「あらゆる生物は神が創られたものであり、それが形を変え進化して行くということはない。一つ一つの生物は神が創られたものであり固定的なものである。」という創造論の常識に挑戦したものである。すなわち、科学や哲学はその当時の知識の常識に挑戦してこそ初めて生まれるのである。このことを学校教育現場で教えなければならない。いかにして知識の常識に挑戦するか。まず知識の常識に挑戦する勇気を教えることである。その為にはまず教師が範を示さなければならない。教科書に書かれてあることが「本当か?」と疑うことである。その疑問へと教師が率先して引率しなければならない。ユダヤではヘブライ聖書に書かれていることすら疑うことを教えるのである。ユダヤでは神が存在するかということ自体を大命題として問いかけているのである。このユダヤ思想が根底に受け継がれ、コペルニクスやダーウィンに繋がっているのである。

この討論型の授業に日本の先生方も生徒も全く慣れていないということの実例を2つお話ししよう。一つは、私の友人がStanford大学のBusiness SchoolのProfessorをしている。そのProfessorの話である。彼のクラスはアメリカ人6割、その他は世界各国からの留学生である。留学生はインド、中国、その他アジア諸国から来ている。そのProfessorがこのように言っている。

「Kanji、日本からの留学生はいつも僕は成績をCかDを付けざるを得ないんだよ。CかDというのは落第寸前の成績なのだが、どうしても日本人にはこの成績以外は付けられない。何故かと言うと、クラスルームでの発言が全くないか、あっても教科書に書いてあることしか発言しないんだよ。これに対して中国人やインド人は独創的な自己の意見をクラスルームでどんどん主張してくる。必然的に教授の私としてもインド人や中国人を当てるようになってしまう。知っての通り、Business Schoolではクラスでの発言が成績の半分以上を占める。だから日本人はクラスでの発言がありきたりかほとんどないので、常に最下位の成績を付けざるを得ない。」

このStanford大学Business Schoolの私の友人のProfessorのコメントは、私自身の経験から照らしても正しいと思う。具体的な大学名を挙げると差し障りがあるので言わないが、私はある日本の超有名大学の授業に教授の補佐として参加した。その時の光景を再現しよう。

教授が教室に向かって、「さて、宇宙はどのようにして創造されたかを知っている者はいるか?」

教室。シーン。誰一人手を挙げない。教授が堪りかねて「それではヒントを与えよう。ホーキング博士のビッグバン理論というのを知っているだろう。それを説明できる者はいるか?」

教室。シーン。誰も手を挙げない。そこでこの教授は思わず「アメリカの大学で同じ質問をすると全員が手を挙げるぞ。一体君達はどうしたというのか。知らない訳はないだろう。何故発言しないのか。」と逆に発言しないことの理由を質問した。

教室。シーン。そこで教授は呆れて「今日の授業はここまでにしておこう。君達は次の講義で必ず発言するように。もう一度言っておく。必ず発言するように。」

ユダヤでは宇宙創造のまず最初に神の言葉があった。神は言葉で宇宙を創造された、とヘブライ聖書に書かれてある。言葉が宇宙を創造したのである。いかに言葉が重要であるかはユダヤ民族が一番良く知るところである。言葉はすなわち発言である。発言が思考を発育させる。発言なきところに思考の探求はない。発言しない者の頭脳は停止している。だからユダヤでは常にしゃべる。しゃべってしゃべってしゃべりまくる。また、常に立ったり座ったりする。それがユダヤの学びの姿勢である。そして声を出して本を読む。本を読む時も身体を小刻みに震わせたりする。すなわち、あらゆる五感を使い思考に集中する。声を出す、身体を動かす、グルグル歩き回る。無論本を読む姿勢はそのままである。日本のように一方的に教師のしゃべるのを聞いていると、私の経験では、頭脳活動が停止し眠くなる。

女性の地位と日本の後進国性

2012年06月16日
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筆者は2012年5月1日、BostonにあるNortheastern Universityを訪問した。私立の総合大学、Universityである。Associate Vice President for EnrolmentのRonne Parick Turnerが全体的な話をしてくれた。毎年4万人のApplicantsがあり、1万5000人が入学を認められ、最終的に入学するのは2800人。International Admission OfficerがDarren Conine、Asiaを担当している。

当然教育Consultantとして訪問しているから丸一日かけてゆっくりと大学の中を案内してくれた。入学審査担当部の部長から副部長その他職員が10名ぐらい入れ替わり立ち代わり出て来て、学校の中を案内したりVideoで説明したりしてくれた。無論朝8時からの朝食付きであり、昼食も大学側が特別室を用意して提供してくれた。大学の中をくまなく案内してくれた他に学生代表4名が出て来て、教育Consultantの質問に入れ替わり立ち代わり答えてくれた。

その中で最も眼を引いたのはこのPosterである。「女は強くならなければ駄目だ」というこのNortheastern大学のPosterは特に日本の男達、そして女達に見せたいものである。だからわざわざこのBlogに書いている。


日本の女子大学は津田塾でも日本女子大でもとにかく良妻賢母を育てるという方針しかない。しかし、このNortheastern大学は彼らの説明によると「闘う女を育てる、強い女を育てる、社会に貢献する女を育てる、起業できる女を育てる、社会のLeaderとなる女を育てる」という教育方針で臨んでいる。

そういえば日本の上場企業の社長で女性の数は欧米と比べると目を覆いたくなるばかりに少ない。試験で登用される裁判官や弁護士や公認会計士に女性は多い。また医者にも多い。しかし何と言っても日本は企業社会、その中心になるのが取締役会、その中に女性が居ないのは日本だけの特有現象だ。

私の住んでいる北欧では上場企業の取締役会の約4割が女性で占められている。法律でも4割以上が女性でなくてはならないと決まっている。北欧各国はそうだ。

当たり前である。人間の半分は女性であるから当然のことといえば当然である。

Judaismでは女性の地位は極めて高い。Edenの園の話の時から女性が中心的役割を果たしている。

また、女性の改宗者Ruthの子孫からはJewishの王King Davidが生まれている。また、命がけでJewishの同胞を助けたEstherは闘うJewishの女のModelである。Israelでは女子も軍隊に行く。

日本も女性が闘う姿勢を身につけなければ駄目だ。男に可愛がられようとか、男社会に取り立ててもらおうなどと美人を売り物にしたり、Proportionを売り物にしたりするような女性ばかりが目立つようでは後進国中の後進国と言って良い。

女性は就業人口の半分を占める労働力であり、Global Standardは女性が企業活動のLeaderとなるのがGlobal Standardである。また政治活動のLeaderとなるのがGlobal Standardとなる。 Margaret Thatcher、Hillary Clinton、GermanyのAngela Merkel、Brazil大統領のDilma Rousseffなどは言うに及ばず、IMF TopのChristine Lagardeも女性だ。女性がTopにならない日本は先がない。女性が男の姓を名乗らなければならないのも後進国の証左だ。

同様に、同性の結婚を認めない日本は先がない。 Israelの中心都市、Tel AvivはGayとLesbian大歓迎の町である。統計では10%はTel Aviv ではGayとLesbianと言われている。

Gay、Lesbianについては、私のBlogの 09/29/2011付「Rome法王はGayの結婚に反対」、07/05/2011付「Are you married?」、06/08/2011付「Pride LondonとHebrew Bible」を、
強い女性については、05/15/2012付「Jewishの女性は議論好き」、02/28/2012付「Hebrew Bibleにみる男女の順序」、12/01/2011付「石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible “I command you”」、05/04/2011付「Purimの祭りが我々Jewishに教えること」、を参照下さい。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その8) 「極限の選択」

2012年06月06日
一人の命しか救えない時にどちらを救うべきか? 

AmericaのSuper Eliteが通うBoarding Schoolの倫理の授業で、Classの10人の生徒に次のようなDiscussion Themeが与えられた。5人ずつのGroupに分け、どちらを救うべきかを議論する授業だ。

Themeはこうだ。

「君がもし産科の医師だとして、臨月の母親が危篤状態に陥った。母親の命を救えばその処置のために胎内の子は死んでしまう。今胎内の子を帝王切開で助ければ子供の命は問題ないが、母親は確実に助からない。裁判所の判断を求める時間は全くない。さて、君は医師としてどうすべきか。」

子供派、母親派の5人ずつのGroupのDiscussionが始まった。

私はAmerica公認の教育Consultantとして各地のSuper Elite校のBoarding Schoolを見て歩いている。各校とも倫理系の科目が何科目か用意されており、ClassではこのようなThemeでDiscussionすることが多い。

AmericaのSuper Elite校の考える倫理とは、主にこういったもので、日本人の考える倫理とは、かなり違う。重い課題でかなり宗教的なものである。

Christianity国AmericaではProtestantが主流であり、その中に色々な分派があるが、このような場合、もともと胎児は受胎の瞬間から人間であり殺すことは堕胎も含めて絶対に許されない、と考える者が多い。だったら母親も胎児と同等の人だから殺して良い訳がない。Christianityでは、このような極限状態の時に判断が非常に混乱する。

あるChristianityの一派は、母親の意思が優先するという。母親が自分は死んでも良いので子供を助けてくれと表明すれば、それに従うべきだという。

ならば母親が意識不明の時はどうするのか? あるChristianityの一派の考えは夫である父親が決めて良いという。しかし、父親が「とても私には決められない」と判断を拒否したら産婦人科の医師の判断に委ねられるのか? 君が医者ならどうする? 長い寿命のある子供を助けるべきという生徒と、まだ次の子供を産める母親を助けるべきという生徒の意見が対立した。

Protestantではなく、Catholicでは、このような場合、洗礼を受けていない子供を助けるべきだという結論になるであろうと思う。洗礼は神からの救済であり、洗礼を済ませている母親は既に神により救われているので、このような場合は子供の命を助けるということになる。かくして二人とも神により救われるのである。人の命としては母親は死ぬが、宗教的には二人が洗礼により救われたと考える。

さて、Judaismではどうか。Judaismでは、答えは非常にSimpleであり、誰も迷わない。助けるのは母親と決まっている。胎児は出産するまでは母体の一部と考える。従って母親の手や足と同様、母親を救うためには胎内の子を切除する以外にない。JudaismにはTalmudという聖典があり、およそ人が判断に迷うような問題にすべて答えが用意されている。

さて、我が日本の仏教や神道ではどうか? あるいは、日本では医師会が倫理基準として決めることなのか? 

我々日本人は、普段あまり宗教に接しないが、AmericaのSuper Elite校やJewishでは、こんな形で中学生高校生に倫理を教え宗教を身近なものにしていくのである。日本では、こんな授業はやっているのだろうか?

艱難辛苦、汝を玉にする

2012年06月06日
私が推薦文を書いたDan Senor/Saul Singer著New York Times Best seller「アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?」
の翻訳(原題:The Story of Israel's Economic Miracle)が日本でダイヤモンド社から出版された。

今AmericaのSilicon ValleyのApple、Google、Microsoft、そしてIntelは全てその企画、設計、開発拠点をIsraelに置いている。

日本はこういったSilicon Valleyの強力企業の企画、設計、開発拠点としては全く無視されているのは何故か。そして何故Silicon Valleyの強力企業がJewishに企画、設計、開発を任せているのか。その秘密がこの本に書いてある。

特に圧巻なのが、Israel軍兵士の若者が弾丸と手りゅう弾が飛び交う中、砂埃を浴びながら軍用PCでHarvard Business School、Harvard John F Kennedy School、Harvard Law SchoolなどにApplication Formと願書に提出するEssayを書いている姿だ。

日本には昔から「艱難辛苦、汝を玉にする」(これを正しく「かんなんしんく」と読める日本の若者は少ないだろう)という言葉があるが、まさにそうだ。それに引き換え日本の若者は「贅沢三昧、汝を石ころにする」

「玉」のあるところにSilicon Valleyの強力企業が開発拠点を置くのは当たり前だ。「石ころ」しかない所に開発拠点を置くわけがない。

AmericaのBusiness School受験のGMAT、Graduate Management Admission Testを戦場で受けている兵士の数は15,259人(全世界Base)にのぼる。その中にこういったIsraelの若者、Afghanistanで、Iraqで戦っている若いAmerica軍や韓国軍兵士がいるのである。

それに引き換え日本の若者はGMATを受けることもせず、受ける者も冷房のきいた部屋などで受けている。それでいて成績が悪いのではどうしようもない。

日本の電機各社がSamsungの後塵を拝しているのも、韓国軍の若者がこうやって戦場からGMATを受けAmericaのBusiness Schoolにどんどん留学しているからだ。Business School だけではない。各国の色々な学校に韓国人は大量に留学している。韓国の留学BoomはNational Trendと言っても良い。留学経験者が韓国の「玉」になってSamsungを強くしている。電機各社はSamsungに負けたのを円高のせいにしてるが、本当の原因は「玉」不足ではないか。

「艱難辛苦、汝を玉にする」この言葉は日本の電機各社に向けられた言葉として受け取ってもらいたい。

以上

Botox Boom in Silicon Valley?

2012年06月05日
Google、Facebookに採用されるためにはとにかく年が若くなければならない。20代前半、せいぜい20代後半から30代、31、32歳まで。別に年齢制限はないが、とにかくこの2つは世界で最も社員年齢の若い会社である。何せFacebookの社長がまだ20代。行ってみれば分かるが、社員はほとんど全員が20代、30代前半。

そこで35歳を過ぎて来ると、こういう会社への就職は難しいのではないかと皆が思い出して始まったのがBotoxである。

とにかくAmericaの就職試験は厳しいの一言に尽きる。まずResumeをRecruiterに送る。Recruiterから電話がかかってきたらStep 1が始まるが、電話がかかってこないことがほとんだ。そして電話 がかかってくると、Skype Interviewが始まる。そこで年齢を聞かれることは憲法違反だからないが、いかにSkype Interviewで若く見せるか、これがKey Pointとなってくる。Google、Facebookに採用されるためには、まず若く見えること。そうでないとEnergyがないと思われる。そこでAmericaの35歳過ぎの男達がBotoxに群がっている。

Botoxとはボツリヌス毒素、Botullinum toxinを皴に注射して皴を取り顔を若く見せようという美顔手術である。従来の皴取りはCollagen注射であるが、Face-LiftではBotoxが主流となっている。

現実にGoogleではBrian Reid 54歳のEngineerが「Googleをクビになったのは年齢差別だ」と言ってGoogleを訴えている。

とにかくSilicon Valleyには世界中からEngineerが採用希望を出して来ている。こういう採用希望者はResumeが光っていることも当然だが、Skype Interviewで若く見えることも当然だと考えてBotoxに走っているのである。

そこでSilicon ValleyではBotoxが常識というこぼれ話。

CCTV

2012年06月04日
私の住んでいる国Swedenでも、仕事で行くLondonでもNew Yorkでも、世界のあらゆる都市は警察のCCTVが100%道路や地下鉄、鉄道の駅を網羅している。ところが、世界の大都市東京やその他の大阪でもそうだが、警察のCCTVの網羅網は全くと言っていいほどない。業者が設置したCCTVだけである。

例えばLondonではHotelや自宅を出た直後からCCTVで全て監視されている。Busも地下鉄もTaxiの中もである。Privacyがあるのは自分の住まいやHotelの部屋の中だけだ。

ところが日本ではCCTVが全くない。それどころか、Google mapでGoogle ViewをGoogleがやろうとしたところ、「Privacyの侵害だ」という馬鹿げた主張が出たぐらいである。

私がある所でこの主張について「CCTVをもっと増やし、道路という道路をCCTVで監視するべきだ。」と言ったところ、たまたまそこに居た人権派の弁護士から強烈な反対意見が出た。

日本は人権と治安の意義をごっちゃにしているのではないか。人権とはPrivacyであり、Privacyとは自宅の外に存在するものではない。一旦自宅を出たら、そこはPublic Spaceだ。Public Spaceには警察がCCTVを網羅するのは当然のことであり、ここに人権派弁護士が反対を唱えるというのは間違っている。

Google Viewに自宅の表札が映っているとか、洗濯物が映っているとか、で反対を唱えるのも同様に間違っている。洗濯物を外に干すのはそもそもPublic Spaceに自分のPrivacyを晒しているわけだ。

Privacyを言うならば、洗濯物は家の中に干すべきだ。Privacyを言うならば、表札はそもそも出すべきではない。表札などというものは欧米では見たことも聞いたこともない。ましてやFull nameの表札を出すなどというのは欧米では驚天動地のことであり、Securityの観点からあり得ない。

日本人は人権、Privacy、個人情報をあまりにも声高に主張するために、治安、Homeland Security、そして何よりも家族の安全、自分の身の安全が疎かになっている馬鹿な国だ。

Americaの南部、中西部諸州を中心に自警団法が制定されている。自警団法というのは民間人が拳銃を持って自警団を組織し、警察の機能を肩代わりするというものだ。当然怪しい者を射殺する権利が自警団には認められている。合衆国憲法上これが合憲であるとされているのだ。

日本もそれぐらいやらなければ駄目だ。日本では昔隣組という制度があって、「火の用心、火の用心」と言って回っていたが、今後はAmericaに見習って自警団を組織し、警察に肩代わりする自己防衛権を認めるべきであろう。当然武力の使用も認める方向に出ないと駄目だ。

のんき大国日本からAmericaのこういった中西部、南部諸州に留学する学生諸君は注意した方がいい。間違って自警団に怪しい者だと目をつけられて射殺でもされたら大変なことになる。

くれぐれも行動は慎重にし、決して他人の芝生には立ち入らないようにしなければならない。Americaは芝生がOpen spaceになっているが、そもそも芝生というのは個人のPrivate propertyだ。柵がないからといって足を踏み入れたら怪しい者ということで家の中から拳銃をぶっ放される恐れがある。

また陽が落ちてからはウロウロしないことだ。真っ直ぐ歩くこと。ウロウロしていると怪しい者と思われて自警団からいきなりpistolを撃たれる恐れがある。可能ならば常に車で移動することだ。徒歩は非常に、こういう自警団法がある諸州では危険なのだ。こういった州では夜徒歩で歩くのは絶対に止めるべきであろう。

2012年5月21日、渋谷駅で肩が触れたぐらいでサバイバル・ナイフで人を刺した男がいた。犯人は日本人。

私が前から主張している通り(「日本人は世界最悪の人種差別主義者!か?」4/29/2012)、移民開放政策を取れば外人が増え、従って治安が悪くなるというのは人種偏見的主張だ。

日本は元々世界的に見ても治安が悪い国だという認識を持たなければ駄目だ。日本が治安が良いというのは、原発と同じで刷り込まれた安全神話だ。

拳銃が非合法にこれだけ行き渡っている国は世界的に見てもG20では日本だけだ。組織犯罪集団(マフィア)がこれだけ蔓延っているのも日本だけだ。銃刀法があるのに違反してこの男のようにサバイバル・ナイフを持ち歩いている奴は日本人にたくさん居る。それなのに、抜き打ちBody checkなど全くない。取り締まりがないのだ。一体何のための銃刀法か?

日本は世界的に見ても治安の非常に悪い国だ。そのくせ警察力の行使が最も控えられている変な国だ。それは、安全神話が原因だ。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その7)

2012年06月04日
FacebookやMicrosoftはどこで生まれたのか知っているのか? 全てLiberal Arts 教育の場で生まれている。Microsoftの創業者 Bill GatesもSteven BallmerもFacebookの創業者Mark Zuckerberg、Eduardo Saverin、Chris Hughes、Dustin Moskovitzも全てHarvardのCollegeのdormで寝食を共にしていた。そこでMicrosoft、Facebookを誕生させているのである。HarvardのCollegeとは正にLiberal Arts教育を行なっている所なのだ。

これが、日本の大学のように部活と就活の場であれば、dormで寝食を共にし、哲学論議をすることもないから、日本からMicrosoftもFacebookも生まれないわけだ。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その6)

2012年06月04日
アメリカは完全な「学歴社会」であり、さらにGPA社会である。

日本は「学校歴社会」(注:学歴社会ではない。学校歴社会)である。全員が大学に
行く。そして全員が学士止まり。アメリカで言えばBachelor of Art (BA)止まりであ
る。

アメリカでBachelor of Artではまず職探しは難しいと考えて良い。

日本は全員がBA止まりだから何で競争するかと言うと、どの大学を出たか(学校歴)
で競争する。アメリカはそういう競争はしない。まず学校歴というのは関係ない。で
は何で競争するか。

BAのDegreeではまず就職が難しいと言ったが、その上のDegree、Master of Art 
(MA)は最低必要だと言われている。学歴、つまりDegree競争だ。そして今やPh.D.、
MD、JD、MBA、つまり更にその上の大学院のDegreeを持っていないと駄目である。だ
からアメリカは学歴社会なのだ。

ところが、である。それらのDegreeを持っていても一生付いて回るのがGPAである。

GPAとはGrade Point of Average、すなわちCollege の BAを取る時の成績である。全
校生徒の中で何番で卒業したかというのがGPAであるが、これが就職の時にも一生付
いて回る。

就職試験ではGPAがどれぐらいだったかというのは必ず聞かれる。いくらHarvardの
Collegeを出ていても、GPAが低ければどの企業も見向きもしない。いくらHarvardの
MBAを取っていても同じである。HarvardのBAを取っていても同じである。

そこでアメリカの学生はGPA競争に入る。すなわち大学に入ったら皆必死で勉強す
る。目の色が変わる。Liberal Arts collegeの図書館は、従って深夜まで学生で満員
になる。ちょっとでも試験で良い成績を取ろうというわけだ。GPAが何点以上ならば
どの企業に就職が出来るという大まかな色分けが為されている。GPAが何点以上なら
ば、どの大学院に行けるかも色分けされている。GPA が一定以上でないとCollegeの
卒業も出来ない。

そこでアメリカの学生は大学に入った途端に猛烈に勉強する。そして教授が思ったほ
どの点数を試験でくれなければ、猛然と教授に抗議に行く。皆GPAを少しでも上げよ
うと必死なのだ。GPAとは大学4年間の総合成績のGrade Point of Averageであるか
ら、4年間を通じて全科目の成績の平均点が問題となるのである。これが職探しの履
歴書に必ず記載されるので一生付いて回る。だからアメリカの学生は1年生から4年
生の卒業直前の試験まで必死で勉強する。GPAは4年間のGPAだからだ。

ここでLiberal Arts教育とはGPA競争であることが分かる。

この意味に於いてアメリカは完全なGPA社会である。

日本でLiberal Arts教育が出来ないのは、GPA競争が日本の大学で全くないからであ
る。誰も京大、東大を何番で出るかの競争をしない。日本の大学は、部活と就活の場
であり、GPA競争=Liberal Arts教育の場ではない。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その5)

2012年05月24日
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これはTransylvania UniversityというKentucky州のLexingtonにある大学の標語である。

Transylvania Universityは小さなLiberal Arts Collegeである。その大学の標語が「単なるLeaderになるな、Pioneerになれ」という。Pioneerとは、言うまでもなくある分野の開拓者、つまり人がやっていないことを先鞭をきって切り開く者という意味である。まさにEntrepreneurを言う。こういう教育がLiberal Arts教育なのである。

日本人はLiberal Arts教育を一般教養などと誤訳しているが、とんでもない間違いである。Pioneer精神を植え付ける教育がLiberal Arts教育である。「Don’t just to be a leader to be a pioneer.」Liberal Arts教育とはPioneer精神を叩き込む教育なのだ。

日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その4)/可哀想な日本企業

2012年05月24日
今日New Yorkでたまたま日本の超有名な大学のある学部の教授に会った。

彼の話によると、日本の大学生は可哀想だと言う。つまり3年生から就職活動が始まるので、1年生、2年生の2年間しか勉強する時間がない。しかも1年生はほとんど大学に受かったというので浮かれているので2年生の1年間しか勉強する時間がない、と言うのである。

私はこれを聞いて可哀想なのは学生ばかりではない。むしろ日本の企業だと思った。大学でたった1年間しか勉強していないような学生を採用しなければいけない。つまり、高校時代の勉強だけの学生を採用する企業も非常に可哀想だと思った。

確かに企業の内部のことは、あるいはその業界に特有なことは社内教育で教えれば十分だろう。しかしそれでは戦略的な発想をする人材が全く採用できないことになる。戦略的な発想をする人材とはLiberal Arts教育をたっぷりと 受けた人材なのだ。「Liberal Arts教育とは何か」については、私のBlog (http://www.olive-education.com/information/)を参照されたし。(「EducationとJudaism」、「日本では何故Liberal Arts教育が出来ないのか(その2)」、「果たして日本人に Liberal Arts教育は可能か。受け手と教師の民族的性癖」、「Liberal Arts CollegeとBoarding Schoolは金持ちだけの教育だという批判に対して答える」)


いよいよこの日本特有の弊害が現れてきた。企業がしかも一時の日本を盛り上げた企業が全部駄目になって来ている。これは唯一かつ最大の理由はLiberal Arts教育を受けた学生を採用できないからである。可哀想なのは日本の企業である。

Americaの学生は、特にBoarding SchoolからLiberal Arts Collegeに行った学生は、Totalで長い学生で10年間、短い学生でも7年間たっぷりとLiberal Arts教育を受けている。その上でMBAの2年間で実業 の訓 練を受けている。

こういう学生を採用しているAmerica企業と、全くLiberal Arts教育を受けていない学生を採用して社内教育で業界教育だけをしている日本企業とでは勝負にならない。本当に可哀想なのは日本企業である。

日本では何故Liberal Arts 教育が出来ないか。(その3)

2012年05月24日
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これは私があるLiberal Arts教育を行なうBoarding Schoolで撮ったPosterである。

Boarding SchoolとはLiberal Arts 教育をする所である。日本ではLiberal Arts教育は「一般教養教育」などと馬鹿げた間違った訳が与えられているが、とんでもない間違った訳である。日本ではそもそも概念すらないのである。

ではLiberal Arts教育とは何か、それはこの標語に書かれているように、政府を倒すことを考え実行する人間を生む教育、政府を倒すための考えを教える教育なのである。アメリカ大統領Thomas Jeffersonが挙げているこの言葉「A bill of rights is what the people are entitled to against every government on earth」地球上のあらゆる政府に対して抵抗する人民の権利こそ基本的人権である、というThomas Jeffersonの言葉の意味を教えるのがLiberal Arts教育なのである。

日本人は政府に反抗しない、政府を倒そうとしない羊のような人間の集合であるから、元々Liberal Arts教育すなわち政府を倒すことを教える教育は出来ないのである。

だからマッカーサーは日本からLiberal Arts教育を奪い去ったのである。そんなものが日本にあっては世界に危険だからである。

その挙句がどうなったか? 受験教育と受験教育からいきなり就職という教育が日本に押し付けられた。結果としてCritical Thinkingすなわち戦略的思考が出来る人間は日本からは誰一人生まれなくなった。アメリカの思う壷である。愚かな国日本を収奪の対象とすることが70年がかりで行なわれた。その結果が今のざまである。日本の国富という国富は全てアメリカに吸い上げられた。

Liberal Arts教育をマッカーサーが日本から奪い取った最大の目的は、日本をAmericaの言いなりになる羊ばかりの国にする。その為にはLiberal Arts教育を行なわない教育制度を作る。6・3・3・4という教育は、Liberal Arts教育がすっぽり抜け落ちていることに日本人は気付かない。早く大学に入って就活をしよう、一つでも良い大学に入ろう、それではLiberal Arts 教育はどこでやるのか。高校は受験勉強、大学は就活の場。全くLiberal Arts教育を受けていない。

何でLiberal Arts教育を受ければ戦略的な人間が生まれるかって? Peter Druckerの言っていることを教えよう。Peter Drucker曰く「ManagementとはLiberal Artsである。」 そして、Managementには国のManagement も含まれる。企業のManagementも当然だが。

ニューヨークでの音楽特訓の様子(その2)

2012年05月23日
今日のXXXさんたちのプチ発表会、とても楽しいものになりましたよ。いい思い出になってくれていれば幸いです。
短い時間でしたが、僕自身非常にいい時間がすごせました。
XXXさんも最初は人前で弾いたりあわせたりするのを躊躇していたのに、今回はとてものびのびと弾いてくださいました。
YYYちゃんは学校のことなどで忙しかったにもかかわらず、ZZZの伴奏、同じくバイオリンのパート、トトロ「風の通り道」ピアノパートと3パートも用意してくれました。今考えてみると、僕もよくあんなにたくさん宿題出したものだと、NY滞在も残り少ないのにちょっと可愛そうなことしまったなと感じています。
それでも大変よく演奏してくれて、本当に驚かされました。特に3週間であそこまでバイオリンを弾けたのも常人には到底できないような上達速度でした。
きっとこの先なにをやっても成功していくことでしょう。
なんにでも飛び込んでいける若い弟君以上に英語や環境になじむのが大変だったり、時には複雑な気持ちで彼を見るときもあるでしょう。僕自身そうでしたので。
でもきっと強い、いい大人に育っていくでしょう。
先生としてではなく、先輩として、一人の人として僕にも何か力になってあげたい、そう思わせてくれるような子達でした。
また機会があれば、ゆっくりお話したいですね。

以上、今日のプチ発表会でした。


Violin instructor in New York.

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日本では遠慮することが美徳だが、欧米では人を押しのけることが美徳である。

2012年05月18日
この違いを日本からのBoarding Schoolへの留学生は色々な形で学んでいく。

Boarding Schoolには日本以外の世界の各地から留学生が来ており、しかもアメリカ
人のBoarderも沢山いる。その中で遠慮することが美徳だという社会から来ているの
は日本人の留学生だけ。日本以外の社会では人を押しのけることが美徳とされてい
る。

そこで日本人の留学生は信じられない場面に数々遭遇する。

例えば、同室の友達が音楽を大きな音でかける。遠慮して注意しなければ音量はます
ます大きくなっていく。

例えば、同室の友達が夜遅くまで電気を点けて勉強する。消灯時間以降も点けて勉強
する。自分は眠りたいのに邪魔になる。遠慮して注意をしなければ自分が寝てしまっ
てからでも、その同室の友達が電気を消さない。

例えば、同室の友達が自分の持っているCDやボールペンその他のものを勝手に使う。
遠慮して注意しなければ全ての物は同室の友達が勝手に使ってしまう。返さない。

そうして日本からの留学生はStressが溜まっていく。勉強も手に付かないほどStress
の固まりになっていく。こういう悪循環に入ると日本からの留学生はBoarding
Schoolが嫌になってまた日本に戻ってしまう羽 目になる。留学が途中で挫折するの
である。